カーニバル2005-2006
2006年の女のカーニバルは2月23日、ローゼンモンタークは2月27日!

| 日本語になっているカーニバル
書店で平積みになった新刊書を一瞥して強い違和感を覚えた。 「カーニヴァル化する社会」(鈴木謙介著・講談社現代新書)のタイトルである。 いくらなんでも「社会」が「カーニヴァル」化しているとは私にはとても思えなかったので、 一体どういう意味なのか知りたくて読んでみた。 どうやら鈴木氏の意味するところの「カーニヴァル」は、私の知っているカーニバル=謝肉祭、すなわち人々が地域ごとの流儀に従って仮装し、道端にはゴミがあふれ、女性が都市を支配し、パレードの山車からキャンディやチョコが降り注ぎ、やがて終演を迎えて街は静かに戻り、人々は春の復活祭を待つ… そんな宗教的な伝統行事とは全く違っていて、 ばか騒ぎとか一時的な盛り上がりや躁状態を指すのだと、確かに断ってはいる。 しかし、カーニヴァルの語をポーランド出身の社会学者ジークムント・バウマンの著書から引用しているとも書いていて、 ヨーロッパ人の用いる言葉が本来の謝肉祭という意味をあそこまで切り落としているなんてことがありうるだろうか?と私はますます混乱した。 それが、2005年の春のことである。 夏、SFアニメ映画「鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」を観た。 主人公は異世界から1923年のミュンヘンに飛ばされて、 もとの世界へ戻るきっかけをつかむためにロケットの研究グループに参加している。ジプシーの馬車に乗せてもらい、 仲間とロケット発射の実演をする会場へ向かう。ゆくてに観覧車と見世物小屋のテントが見えた。誰かが叫ぶ。 『カーニバルだ!』 ええと、それはカーニバルじゃなくて「キルメス」じゃないかと思うんですけど… カーニバルは2月の寒〜い時にやるんだから、そんな薄着じゃ風邪引きますよ〜 と心の中でつっこんだものの、こちらの違和感はすぐ解決した。映画のシナリオブックではプロトタイプ台本にライターのコメントが添えられていて、 ―ドイツでは移動遊園地のことをKirmesというが、あえて一般的な「カーニバル」という語を使った ということだった。 そうか、日本語で「カーニバル」という時は、"Karneval","Kirmes","Fest"をごちゃまぜにしているわけね。 カタカナ語は多くの場合由来が英語に求められる。確かに英語のcarnivalには移動遊園地とかばか騒ぎという 意味があって、さらにカニヴァリズム(食人)と共通する語源を持つためにホラー映画や小説にふたつの意味をひっかけた作品があるようだ。 日本での英語とドイツ語の普及度の差を考えれば、普通の人がアメリカ文化を通じてカーニバルという語を知るのも 当然かもしれない。 カーニバルという語からまず連想するのはたぶんリオのカーニバルと羽飾りをつけたナイスバディのブラジル美人で、さらに イベントや、大盤振る舞いという意味を含んで売り出しにもよく使われる。10月頃デュッセルドルフで収穫祭ふうのFestがあった折に 羽飾りをつけたブラジル美人が来ていたのを覚えている。 カーニバルは終わりの決まっているばか騒ぎだ。 デュッセルドルフでは灰の水曜日にホッペディッツというカーニバルの精霊に見立てた人形を 火葬にしてセッションが終了する。ホッペディッツの支配する時期は価値観が逆転する。 価値観が逆転するということは身分の上下も逆転するということで、 古くは領主や貴族の不品行を告発する機会でもあったらしい。 現代でもそれはパレードで政治風刺の山車を登場させるという形で受け継がれている。 社会の秩序を保つためのガス抜き、リセット装置としての馬鹿騒ぎなのだ。 カーニヴァルという語に強いこだわりがあるようだが、鈴木謙介氏が著書を「カーニヴァル化する社会」と銘打ったのは軽率じゃなかったのではないかと今でも思っている。 イベントの行き過ぎた盛り上がりをカーニヴァルと言い換える必要が本当にあったのかどうか願わくば再考してほしい。 written in February 2006 by Murasuzume |