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今夜の番組チェック



ドイツの太陽

ドイツで印象に残っているものの1つに、太陽があります。

私たち家族が渡航したのは4月17日、
春分の日の後からの、サマータイムが始まって間もない頃でした。
成田からヨーロッパ方面へ向かう飛行機はだいたい昼ごろ出発し、
12〜3時間の飛行を経て、主要空港へ到着します。
成田⇔デュッセルドルフ間の直行便はないので、
フランクフルトからJ○Lバスで陸路を行ったのですが、
この乗り換え移動の時間帯は、日本時間で真夜中、
一番眠い時間です。
それでなくても、外国へ来てしまったという緊張と疲労が体にのしかかっています。
バスの窓から見える夕日は真っ赤に燃え上がり、目につきささるかのようでした。
その赤い夕日が、なかなか沈まないで
バスと一緒にいつまでもついて来るんです。(主観的で非科学的な書き方ですが…)
「この野郎、早く沈めっ!」と、太陽に向かって毒づいても、
勿論言いなりになるはずもなく、
やがてうとうとと眠り、その間に太陽は地平線の下へ消え、
暗くなったドイツ時間の夜9時頃ホテル○ッコー前に着いたのでした。
(それから前任者のお出迎えとご挨拶と翌日以降の打ち合わせをして、
ウイークリーマンションへ移動、
明け方に時差ぼけのお子様がむっくり起き出してうるさくする…と続きました)

新居となったアパートメントは
5階から3階建ての低層の建物がコの字型に中庭を取り囲む形をしていて、
その一角にあるわが家のダイニングスペースは西に面していました。
(日本では、西向き窓といえば、畳が焼ける、と嫌われますが
西洋人は、西向き窓は夏はいつまでも明るいので、好きみたいですね。
電気代が節約できると思ってるんでしょうか)

中庭を挟んで向かいの棟の屋根に太陽が沈むのが見えて、
しかも、毎日沈む場所が変わっていくのが観察できました。
太陽の沈む場所が西になればなるほど、夕方は長く、日暮れの時刻は遅くなっていき、
8月になると、太陽は沈む場所を南に南に移動して、夜が早く訪れるようになっていきました。
そして、リビングスペースは東向きの窓に面していたので、
1月1日は8時過ぎに上る太陽をらくらくと拝むことが出来たのでした。

なんせドイツのことだから、いつでも太陽にこんにちは、とはできません。
腕時計の電池を交換するのが面倒で、
文字盤が受光面になっている太陽電池で動くEco-driveというタイプの腕時計を
買ったのはいいのですが、
11月の曇り空が3日続いたら動かなくなりました。
説明書を読み直したら、使用する地域・季節によって適宜光に当てて充電すべし、
…ということでした。トホホ。
ちなみに、日本で使用している限りにおいては、たっぷり充電できてるので
2日くらい引き出しに入れっぱなしで使ってもへいちゃらです。(笑)




洋行帰りのでわの守

「アメリカでは」「ヨーロッパでは」を連発する洋行帰りのことを
「でわの守(かみ)」と言うそうですが、
私も1発「でわの守」になりまーす♪♪

☆山陰各地のイベントやお祭に出かけて思うんですが、
日本人は、わたがしやりんごあめやイカ焼きのようなおやつ系は立ち食いしますが、
流しソーメン、お弁当など「お食事」が入ってくると
座って食べたがりますね。
屋外で、十分座るスペースがなくても、階段とか植え込みの縁石とか見つけて
とにかく座って食べたがる傾向がとってもあると思います。
ドイツでは、高いテーブルのところで立ったままビールをちびちび飲んで談笑している人や、
丸いパンにハムやら野菜やらをはさんだサンドイッチをがしがし食べながら
散歩を続行する家族連れ、(時間とお金の節約)
雑踏の中で焼きソーセージをはさんだパンを食べてる人、
たくさん見かけます。
私は立ち読みで鍛えているので、3〜4時間立ちっぱなしもそれほど苦になりませんが、
日本からドイツを訪ねてきた人を案内して、「座れるところ、ない?」と言われるのが辛いですね。
帰国してから、すし弁当を立ったまま食べるのくらいはまるで抵抗がなくなりました。
だって不安定な場所で座って食べると、何かこぼして服を汚すじゃないですか。


(ニジマスつかみ取り大会&バーベキューの時見かけた子ども。
この足腰の強さ、とても真似できません。)


☆「ポケットから手を出して歩きなさい!」と、叱られている子供を見ると
古風な躾をしているな〜と思います。
ドイツの冬物の上着って、ポケットが2つ重ねてついてます。
ひとつは、寒い時手を入れておくハンドウオーマーで、
ひとつは物入れ、フラップがついています。
外国の通販カタログでも、男性用衣料品など、ポケットに手を入れたポーズのものが多いので
少なくとも行儀が悪いとは思われていないのではないと想像します。



☆車で、トンネルを出た後など、ヘッドライトが点きっぱなしの時には
対向車が「チカッ」と合図して、ライトがついてるよ〜と教えてくれることが
日本ではそれはもう頻繁にあります。
走行中だしこんなんでバッテリーが上がったりしないからほっとけやい、と思うんですが、
下手をすると歩行者まで教えたがります。
ドイツ人が教えたがるのは、テールのブレーキランプの球切れ。
路肩の駐車場に車を入れて、やれやれと思っていると、
窓をコンコン、と叩かれて
「あなた、右(または左)のブレーキランプが切れてますよ」と親切に教えていただけます。
しかし困るのが、交換しようと思ってガスステーションやディーラーに行くと
「こんなの自分でやんなよ」と言われちゃうことですね。



屋外プール

寒いドイツのデュッセルドルフにも屋外プール(Freibad)があります。



ライン川のほとり、川沿いに横に長く敷地をとって
川で遊んでもいいし、プールで遊んでもいいという造りでした。
勿論芝生でただごろりんと寝そべっているのもいいのです。
子供用の浅いプールが広いので、たっぷり子どもを遊ばせておけます。
隅には遊具やお砂場があるので、遊び道具を持って来るとより楽しむことが出来ます。
特にお砂場に行くと、
楽しくて楽しくて、もうそこから離れないくらい遊んでいました。
砂場には、水を流せるスロープがあって、
子どもたちが数人でダムを作っては水を流して決壊させて遊ぶのです。
大体”現場監督”がいて、その指示で協働作業をしていて、
(うーん、ドイツ人って子どもの頃から組織的)などと感心したり。


面白いのは、女の子でも水遊び用パンツいっちょうで遊んでいる子が多いこと、
幼児はすっぽんぽんの丸裸にされている子が意外に多いことです。
そして、すっぽんぽんのよちよちベビーが大勢いる幼児用の浅いプールでは、
どうもおしっこを垂れ流してるんじゃないかという疑念が沸いてきます。
すごく怪しいです。
でも、子どもを夫に任せて魚市場のマグロになっていると、そんなことは忘れてしまいます。

持ち物として、子供用バスローブを持って来るといいです。
だってやっぱり寒いから。
日本では、30度以上の炎天下でなければ水遊びなどしませんが、
ドイツではそれ以下の気温でも遊んでしまうので、
長男なんか唇を青くして帰ってきます。
温かいお茶を持ち込んだり、売店でフライドポテトを買ってきて食べさせたりして休ませます。
プールのオープン期間はあまり厳密に決まってなくて、
「暑くなったら開ける」という感じです。
だからオープン後天気の悪い日が続くと、しばらく休園して、再開することもあります。
記録的に暑い夏なら、プール開園期間も記録的に長くなります。

帰り道には、駐車場の手前あたりにアイス屋さんのバンが待っていて、
そこでアイスを買って食べます。誘惑に勝てないので、必ず買います。
ライン川の土手の散歩道には乗馬をしている人を見かけることもありました。
散歩のできるところでは、たいてい馬でカッポカッポと行く人がいました。
パレードには騎馬隊が出ますので、乗馬は身近なスポーツのようです。



男児用ビキニ

ドイツにあって、日本にないもの。
それは、男児用ビキニパンツ。
(フランスやイギリスにもあるとは思いますが。)

特に、オムツを卒業したての年頃の子どもは
トイレの時に下半身丸裸で行ってしまうのがほとんどで、
その後もパンツをずるっとおろして、おしりを見せながら用を足します。
「社会の窓」を利用するようになるのは、
ずっとずっと成長した後のことです。
そうすると、ブリーフの前部にある布の重なりは、
下着をしょっちゅう汚す子どもの使うものということを考えると、
洗濯物が乾くのに、余計な時間を浪費するためだけの存在です。
おへそがかくれる大きさの日本製の男児用ブリーフに比べて
ビキニパンツは股上が浅くて、用足しの時にもぺろんと簡単にずり下ろす事が出来て
便利便利。
乾きが早い分、布が薄くて耐久性に欠けるということでもありますが・・・

ある日、デパートにパンツを買いに行ったら、
欲しいサイズのものがワゴンに1種類しかなくて、選べなかったので
これを2枚買ってきました。
成長の早い次男のこと、すぐにきつくなったので、親類に下げ渡してしまいましたが、
さてさて今ごろ誰が利用していることやら。


他の店でアーニーとバート柄とか、パワーレンジャー柄とかをゲット♪



お花屋さん

ドイツ人はよく花を買う国民なのだそうです。

お花屋さんは、青空市Wochenmarktに必ず来ていて、
特に高級住宅街O地区のマルクトでは、道路に面した入り口のところが花屋さんのスペースで、
新緑の季節、木立の中に花屋さんがお店を出している風景なんて
たとえようも無くオシャレで美しかったです。
うちの近所のマルクトでは、八百屋のとなりが花屋さんのスペースで、
切り花のほかに鉢植えやアレンジ済みの花束を売っていました。
この、小さ目のアレンジ済みの花束がとても便利で、
値段は大体10〜12DMのを買います。1週間持ちます。お店で花が長持ちする薬をくれることもあります。
安っぽい薄紙をぐるぐるっと巻いて持たせてくれます。
日本で売ってる花束は、薔薇にカスミ草を組み合わせたりして
なんとなくスカスカした感じなんですが、(しかも夏など2日後には薔薇の花がおじぎする)
ドイツのお花は色がとっても濃くて、それを薬玉のごとくぎっちり束ねてあって、
たいそう雰囲気が違うのです。
家に、ほぼ球形の小ぶりの、口の狭い花瓶があれば、
この花束をざぶんと突っ込んで、(勿論水切りした方がいいんでしょうが)
一丁上がり!
つい自分に酔ってしまいたくなる、花のある、優雅な海外ライフです。
花瓶の色は濃いほうが、水がにごってくるのが目立たなくていいです。(笑)
そうそう、薔薇はつぼみなら定価、
開いてしまっているのはお徳用で値下げ。(当然1週間なんて持ちません)

市電通りに面したある新築マンションは1階が店舗で、
最初に入居したのがドラッグストアとパン屋とお花屋さんでした。
だんだんお店が増えて、肉屋と旅行代理店と八百屋が入りました。
かように、ドイツではお花屋さん(と、ライゼビューロー)は、生活に不可欠なのですね。


花を買ってくる日なんて滅多に無かった。妄想です、妄想↑


98年ワールドカップ決勝の日、フランスにいました

もう4年もたつんですね、あの日から・・・・。

ドイツは州ごとに学校の夏休み期間をずらして、観光地やアウトバーンが混雑し過ぎないようにする制度があるのですが、デュッセルドルフのあるノルトライン・ヴェストファーレン州は例年6月後半から8月中旬が夏休みで、日本人学校等もこれにならっています。
98年は7月のはじめに、スイスのドイツ語地域を回る旅行をしたのですが、
うさぎとカメのお話で言えばうさぎさんタイプの、休憩をたっぷりとる運転スタイルなので
とても1日でスイスのホテルに到着できないのでフライブルク泊、
どうせならフランスとドイツの国境の街ストラスブールStrasubourgに寄り道して、のんびり行くという旅行計画でした。

当時、子どもが小さかったせいもありますが、うちはあまりサッカーに関心はありませんでした。
DUSを本拠地にしているチームが2部に転落していたとか、
サッカーのスタジアムの近くを通りかかるたび、マフラーなど応援グッズで身を固めたサポーター達がたむろしているのを見て、贔屓のクラブがあるような熱心なファンじゃなけりゃ観戦しちゃいけないような気分で、要はかなり引いていたのでした。
それでも、ワールドカップともなれば、ドイツ代表は毎回強力な優勝候補チームでもありますし、
講読新聞に金曜日になるとついてくるTVガイドの付録の対戦表を壁に貼ってみたりして、
試合結果をチェックする程度のことはしていたのです。

夏休みのドライブ旅行の初日、昼ごろストラスブールに入ると、
そこは異様な熱気に包まれていました。
けたたましくクラクションを鳴らして走り回る車が何台も行ったり来たりしているし、顔をトリコロールで色分けした人々が大勢。
車を駐車させて(欧州議会のある国際都市ストラスブールは、路上駐車のメーターも英独仏の3ヶ国語表示で親切)とりあえず大聖堂へ向かい、その裏手の広場に観戦用のスクリーンを設けてあるのを見て、ようやく気がついたのでした。
今日が、ワールドカップ・フランス大会の決勝の日だということに・・・!
フランス代表チームが決勝に残っているということに・・・!!


合点がいったところで、昼食のためテラス席の広いレストランに入って、
アルザス名物シュークルート:ソーセージとザウアークラウトの盛り合わせを注文しました。
実は、欧州在住中、レストランでザウアークラウトを食べたのはこの時限りです。
日常はマクドナルドやピザを食べに行く方が多いし、
レストランでも、
チビさんに付け合せのフライドポテトを分けてあげるため、どうしてもシュニッツエルやステーキを頼んでしまうので、あまり自分が是非「これ食べたい!」と思うようなものは旅行でもなければ注文しませんね。
うちの子たちがあたりをうろうろしていると、近くのテーブルのおじいちゃまが、
ランチョンマットの紙で簡単な長方形折り紙を教えてくれました。
この三角帽子は余ったフライドポテトを入れてちょっと持ち歩くのに便利です。


それから、例によってチューチュートレインで小フランスPetite France地区観光。
ここは、ストラスブールの歴史的中心地区で、水路に面してドイツ風の木骨組の家が並んでいます。
何で、珍しくもないようなものを見るのか、と言われても困りますが、
まあ観光客ですから。

夕方ストラスブールからフライブルクに入って、
夜はテレビでサッカー観戦。
そして、
開催地チームフランスがみごと優勝を決め、
私はストラスブールの街のあの熱い興奮をもう一度思い出したのでした。


家に帰ってからイベントTシャツ買いました。ドイツのデパートで買ったのでドイツ応援バージョンです。


あいんまる

話は前後しますが、
97年の4月に家族帯同状態で赴任、
5月に新居に入居、
6月に船便到着、(引越し便の船荷のピークを過ぎてて、横浜港でしばらく置いとかれたみたい)
7月に旅行で健康を害して
8月、夫が私の誕生日に花を買ってきました。
赤いバラの、でっかい花束。
「女房の誕生日だからEinmal(一人前)花をくれ、と花屋に言ったらこの大きさになった。」
という説明でした。
受け取った瞬間は、返す言葉がありませんでした。
一呼吸置いて、「ありがとう。
でも、うち、今花瓶がない・・・・・

仕方なくてバケツに花束を入れといたんですが、
ないのは花瓶ばかりじゃなくて、
食器だってIKEAのかわいいけど安物の食器で、もろくてすぐ欠けるようなのだし、
子供用ベッドが品切れでひとつしか買えなくて、
3才のお兄ちゃんが一人で寝るのを嫌がるからダブルベッドに親子4人で寝る暮らしで、
(夜中に私が子供用ベッドに逃げ出すとお兄ちゃんが明け方追いかけてふとんにもぐりこんでくる)
日本から持ってきたテレビデオはあっという間に壊れて修理もしないまま放置、
JSTVにまだ加入してなくて、
炊飯器もなくて、鍋は安物、
まあ彼も新しい職場でいろいろ疲れていたんだろうけど
夫は毎週土曜日午前中一杯寝ていて、午後からやっと買い物、
時間が足りなくてスーパー1軒しか行けない。
食料と消耗品を買うのがやっとで、ほかの生活材の買出しが進まない・・・

とかなんとか考えていて、あまりうれしそうなそぶりを見せなかったので
翌年から花を贈ってもらえなくなりましたとさ。じゃん♪。


バケツいっぱいでDM40〜だと思うんですが。

イスタンブールのコマ売り少年

「イスタンブールで紅茶」では、私たちが行き当たりばったりの旅を楽しんだかのような印象を受けるかもしれませんが、実際には結構用意周到(なつもり)でした。
まず、治安上の不安がある地域への旅行の際は、夫は現地の駐在員(=同僚)に安全情報を問い合わせます。イスタンブール駐在員の方は、とても詳しい現地通貨に関する注意書きを送ってくださいました。
なにしろ1万トルコ・リラは約1円、どんなお札にも値段表にも果てしなく0がついているので、
旅行中私は「○○リラ」という表現が面倒になって、ゼロをはしょるために
「これ、100円!」などと、円で値札を読むようになりました。
また、地元ピープルの生活材と輸入品や外国人が買うものにはそら恐ろしい価格差があります。
さらに注意すべきなのは、1万とは英語でten thousandのことなので、
日本語と英語を行ったり来たりするうちに、ついひとケタ勘違いをする危険をはらんでいます。

さてさてイスタンブールの旧市街で私たちを待っていたのは絨緞屋の客引きばかりでなく、
素朴なコマを買ってもらおうとする少年でした。
これは、いちごのような先細りの形のトップに、金属の金具と長いひもがついていて、
地面の上ではなく、空中でくるくる回して遊ぶのです。
年の頃はせいぜい10歳くらいに見えましたが、たいした値段でもないようですし、
少年が小銭稼ぎをしていることへの人道上の是非はさておいて、
子供のために買ってもいいかなーという気分になってはいたのです。
彼は私たちと目が合うと、ささっと寄ってきて、英語で話しかけて来ました。(さすがに日本語はムリでしたね)
商品のコマの実演をして、それから値段を言いました。

"1,000,000lira...あっ、10,000,000lira!"

なんと自分で墓穴を掘っていました。あわてて彼は"10,000,000lira! 10,000,000lira!"と何度も言いましたが、冷静になって考えればこれが1000円もするはずない、と思います。
こちらが「10,000,000liraでは高すぎる。買わないよ」と言ったとたん
"...1,000,000liraでいい"と言い値の10分の1で決着してしまい、
それなら、と、ふたりぶんとして2個買ったのでした。

(ここんとこ、桁の多い数字を扱う面倒臭い気分がわかりますか?)

さて、数時間後。
別のコマ売り少年が近寄ってきて、同じようなコマを売ろうとしたので、
先ほど買ったコマを見せて「もう持ってるから、いらないよ」と言いました。
するとその少年は「ちょっと貸してみろ」と言ってうちのコマを取り上げ、
紐を巻きつけくるくると回して「これはあまりよくない」と言い出しました。
そのうちには、他のコマ売り少年がわらわらと集まってきて、
私たちは5,6人の少年に取り囲まれてしまいました。
彼らはああでもない、こうでもないといった感じで大騒ぎをしながらコマの品定めをしたり
うちの子どもたちに遊び方を指導したりして
最後に、「こっちの方がいい」と、別のコマと一方的に・無料で交換してしまい
三々五々に散っていきました。
・・・アフターサービスがあるとは思わなかった。

イスタンブール旅行をした日は、当地が連休期間中だったので
コマ売り少年たちが平日は学校に行っているのかいないのか、
ただの小遣い稼ぎなのか、生活費を稼いでいるのか
よくわからなかったのですが
印象としては、元気で、溌剌として、あまり荒れた様子はない少年たちでした。




イスタンブールで紅茶

2000年3月。帰国を目前に控えたわが家は、イスタンブールへ追い込み旅行に出かけました。
なぜイスタンブールかというと、夫がまだトルコに行ったことが無いというのが理由だったのですが、
塩野七生さんの「コンスタンチノープルの陥落」を読み返したり
偶然、アパートの上の階にお住まいの方のお嬢さんが
トルコ航空のスチュワーデスで、
お母さまもイスタンブールに行ったことがあるということで
直前情報を収集したりして
とにかくアムステルダム経由で飛んだのでした。

さて、到着した翌日の朝、さっそく出かけた旧市街のブルー・モスクの前で
「あなたたちは日本人ですか?私は怪しい者ではありません」と言う
流暢な日本語を話すトルコの好青年につかまりました。(↑充分怪しいって)
彼はブルー・モスクの内部を懇切丁寧に案内してくれて
ブルー・モスクを背景にうちのカメラで写真を撮って貰って
・・・「私の兄が土産物屋を経営しています。ちょっと寄っていきませんか」
と、きたもんだ。やっぱり客引きです。
夫はここで退散したがったのですが、
いざとなったら何とでも逃げられるさ、とたかをくくっていた私は
トルコ好青年について行きたいと頼みました。
イスタンブール土産に、玄関マットくらいの大きさの、シルクの絨緞を買おうと
旅行前に夫と相談していました。
デュッセルドルフには高級絨緞屋が何軒かあり、そこで値段も調べておいていたので、
希望に添った品がなければ、ハイさようならという心積もりでした。

土産物店が軒を連ねる通りの奥に、トルコ青年の兄の店(の1軒)があり、絨緞専門店でした。
兄上は日本語こそ話せないものの、英語を流暢に話し、
なんと旅行雑誌「るるぶ」(もちろん日本語)を取り出して、「ほら、ここに私の店が載っているんです」と
安全性をアピール、私たちの警戒心を解くようつとめ、
奥から外国語が話せない様子の使用人が、
ガラスの受け皿に角砂糖をふたつ、
金色のスプーンを添えたガラスコップ入りの紅茶を持ってきて
天板がアラベスク模様の組木細工になっているティーテーブルの上に置きました。
まずは、絨緞商人兄弟ふたりがかりの商品説明を拝聴。
しばらくして、「私たちが欲しいのは、あまり大きくないシルクの絨緞です。」と切り出して見ました。
すると絨緞商人兄は、2階にも絨緞があるから、見てみませんか、と誘いをかけてきます。
夫が嫌がっているのは重々承知していましたが、
適当な理由をつけてここを出ても、他の店を探すと疲れるし、
条件が折り合えば、この場で買い物を済ませてしまってもいいと私は思っていました。
それに、ひそひそ話をするには、英語もドイツ語も日本語も丸わかりの、
上品そうな絨緞商人兄弟はちょっと相手が悪く、
おまけに商品の絨緞を1メートルも積み上げた上から子供たちがきゃあきゃあ言いながら飛び下りて遊んでいて、それを別の店員が子守りしていました。つまり人質をとられたというわけ。
2階のフロアでは高級シルクのトルコ絨緞を何枚も広げて見せて貰い、
絨緞の見方について講釈を聞いた後で
「私たちの予算は1000マルクです。ドイツにも絨緞を買える店はあるから、
気に入ったものがなければドイツで買ったっていいんです」と言ってみました。
絨緞商人は「その条件に合う絨緞は、これと・・・これと、これですね」
と、3、4枚ほどの小さい絨緞を出しました。
その内の1枚、織りの細かい、ぴかぴか光る(シルクは光の当たる方向によって光って見えるのです)黄色の絨緞が良さそうに見えました。
「これが1000マルクで買えたら、いいんじゃない」
「俺にはデュッセルの店で見たのの方が良いように見えるけど・・・」
「バカ言っちゃいけません。こっちの方が絶対いい」
最後には、「まあどっちにしても1000マルクだからいいか」という夫の了解を引き出して、
それでもトルコ商人は絶対ふっかけてるに違いない、と考えた夫は
値切り交渉を始めましたが、残念、「これはまかりません」というお返事でした。
結局シルク絨緞1枚1000マルクで手を打って、カードで支払い、(そもそも予算の1000マルクって、定価じゃなくて、Reduziert値引き後の値段だったんだから・・・)
品質証明書もつけてもらい、
くるくる丸めて紙で包んで、片手で持てる大きさにしてもらった絨緞を持って、
渋い顔の夫と、絨緞から飛び下りた際ひじをすりむいた長男たちを連れて店を後にしました。

領収書には、やたら桁数の多い、トルコ・リラの数字。この時点で、私たちはトルコ・リラ=ドイツマルクの両替レートを正確にわかっていないのでした。(米ドル=リラはわかっていたが)
相手を信用するしかないということです。

そのまま旧市街の軽食レストランでトルコめしのランチにしました。
トルコめしは、ひき肉料理があるので便利です。
しかし、昨日の夜、ホテルのある新市街で入ったカジュアルなレストランと
大分お値段が違うようです。
思わず、口に出して「安いねぇ、ここ」と言ったら
背後から「ここは、普通のトルコ人が食事する店ですから」と日本語で話しかけてくる方が。
なんとまたもや日本語の流暢なトルコ商人がそこにいました。
「絨緞を買ったんですか。いくら払いましたか。ちょっと見せて下さい」
と言うので、無防備にくるくる丸めて包んでもらった絨緞を渡しました。
トルコ商人2号は、包みをとかずにちょっと絨緞を手にとって、
「いい買い物をしましたね」と言いました。
「中を見なくてもわかりますか」
「わかります」
そして、
「私の店でもいい絨緞を扱っています。すぐそこですから、ちょっと寄ってみませんか」とお誘いがありましたが、さすがにお断りさせてもらいました。
その後も、
「私の店にちょっと来ませんか、すぐそこです」と話し掛けるトルコ商人に、まあ何人会ったことか。

翌日。
もう買い物はしないで一日観光です。
夕方、旧市街の港から、フェリーに乗って、ボスポラス海峡の対岸、アジア側に行ってみました。
船内で、紅茶が飲めるので、買ってみました。
ふだん紅茶はノー・シュガーで飲むのですが、トルコ紅茶は角砂糖を入れて飲みたい気分です。
ふらりと行ったアジア側では特にすることがなく、
マクドナルドに行って、お菓子屋さんでマカロンみたいなお菓子を買って、帰って来ました。

帰る日、空港では、市中との物価のあまりの差に驚愕。
使い残しのリラで買い物しようにも、土産物はなんとドイツマルク表示でした。出稼ぎのトルコ人が多いのも納得。
夫が、トルコの紅茶が気に入ったと言って、
紅茶カップ6客セットを買いました。

後日、夫は
デュッセルドルフの、絨緞の値段の下調べに使った店で、
1000マルクの赤いトルコ絨緞を「俺はこれが気に入ってたんだ」と言って買ってきました。
ごめんね、仕切っちゃって。



金色のティースプーンを探しているのですが、なかなか見つかりません