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ベビーシッター物語(15)(終)ここから駐在3年目

3年目は大きく生活が変わりました。
次男が日系幼稚園の未就園児クラス(ひよこ組)に 週3回通うようになり、
昼間一人でいる時間がようやく確保できるようになったのです。
奥様会のほうも相変わらずでしたが、
子供を預ける手間がなければ、何もかもこれほどまでに楽だとは。
ドイツ語のレッスンも、
フラウNの個人授業から、街中の日本人向けスクールのグループレッスンに変えて
時々ではありますが、同じクラスの人とランチしたり
三越やらアルトシュタットの店を冷やかしたりするようになりました。

また、ドイツ語以外の習い事として
エヴァンゲリッシュの施設で開講しているお料理教室に週1回通い始めました。
日本人向けの西洋料理というコースで、
日本人以外に在独の韓国人マダムも2、3人参加していました。
先生はドイツ人、授業は全てドイツ語ですが、
長く通っていてドイツ語のわかる人がヴォランタリーに通訳して
生徒はレシピのプリントに猛然とメモをとる…そういう教室でした。
デュッセルドルフ市内で、ドイツ語が多少わかるということで重宝がってもらえたのは
後にも先にもこの教室だけだったと思います。
前菜・主菜・デザート・ケーキを作って
先生を囲んで作った料理を食べて片付けてケーキはお持ち帰り、という流れで
会食中、先生がドイツの気候や暮らしについてあれこれお話をして下さいます。
これでずいぶんヒアリングのトレーニングになったような気がしました。

平日昼に夫とランチタイムデートをしてみたり
ようやく駐妻らしい生活ができるようになり、
4年目になれば次男も週5日幼稚園にいく生活だわ、と期待していたのに
帰国の辞令が出て、4年目のゴージャスな奥様ライフは夢に消えたのでした。

(妻的愚痴)
夫とランチデートしたのは
日本人の奥様相手だと、どうしても日本食レストランにおつきあいすることが多かったからで
単に横メシを食べるのに夫を付き合わせたと言ってもよいのです。
土曜の買い物タイムをお出かけに振り替えたがる夫のせいで
平日の5日間、必死になってあちこちで買い物をしてましたが
水とお米は日本食店の配達を頼めるのでなんとか飢えずに暮らすことができました。
でも重い荷物をかついで歩いて、腰にすごく悪かったと思ってます。

ではベビーシッター物語、ひとまず〆させていただきます。
ここまで読まれたかた、どうもありがとうございました。


ベビーシッター物語(14)

一時帰国を、3回しました。
正確には、3年間の駐在の、最初の2年間に、3回。
全て自己都合の自己負担です。
夫の会社は、一時帰国は「健康診断」という名目のため、先進国は一時帰国は適用されません。
不健康地帯なら毎年一時帰国できるそうです。

デュッセルドルフから成田行きの飛行機に乗るには、どこかの大きな空港へ行きます。
バスでフランクフルト空港に行くのがポピュラーですが、
赴任の時に乗ったJ☆Lバスですんごく疲れたので
デュッセルドルフ空港からハブ空港へと飛び、乗り換えることにしました。

1回目は、パリ経由。ファミリーサービスを頼んだので、乗り継ぎの誘導をサポートしてもらえます。
すいてれば家から車で10分ほどの、デュッセルドルフ空港へ夫に送ってもらいました。
その後は、私一人で3歳半と1歳を連れて行くのです。
ちょん、と飛んでパリ空港に着くと、
日本語の上手なフランス人のおじさんが待ち構えていて、
私たちと、もう一人の日本人を車に乗せて、日本行きの飛行機の出るターミナルに
びゅ〜んと連れて行ってくれました。
成田空港では、さすがに従妹の出迎えを頼んでありました。
トランクを宅配にすると翌日着る服がなくなってしまうので、トランクもえっちらおっちら運びます。
成田エクスプレスに乗るまでは床がフラットですが、
その後、東京駅以降は、階段、階段。よく、荷物満載のトランクを手で持って運べたもんだ。
実は長男はつい数日前まで熱を出していて、体調が悪く、ずっと食欲がありませんでした。
でも、乗りなれた新幹線に乗って、「ねえ、もしかして、おじいちゃんちに行くの?」と
みるみる表情が輝いてきたのをながめて、
たった半年のドイツ生活で、こやつもいろいろストレスをためたんだなあ、とホロリ。
今思い出しても泣けてきます。
駅に着いてから、タクシーで実家へ行こうとして
日本のタクシーのトランクにはボンベが入っていて、荷物を入れるスペースが少ないのに愕然。
次回の一時帰国には、トランクを宅配便で運ぶ代わりに1日分の着替えを用意しなければ、
と踏んで
日本滞在中に3WAYの大きなナイロンのかばんを買いました。
これに荷物を満載してしょって、ベビーカーを押して歩くように。
帰路、日本からヨーロッパに行く時には
日本では真夜中のはずの時間に、乗り換えしなければいけないのが辛いですねえ。
12月あたまにデュッセルに帰ってくるなり夫が
「冬休みの行き先を決めなきゃいかん」と言うのでどっと疲れました。
頭を休めてなごみたかったので、
フランスのはしっこにある、日本人の経営するペンションにさせていただきました。

2回目は、フランクフルト経由。
やはりファミリーサービスを頼みましたが、
出発当日は、幼稚園でおもちつきがある日だったので、
朝、まず長男を登園させた後、フライト時間に合わせて自分でタクシーを呼んで幼稚園へ行き、
「子供を連れてくるまで待っててね」と運転手に伝えて、
空港へ行くことができるようになっていました。われながら感心。
フランクフルト空港には、マクドナルドのプレイスペースがあって、
大きな滑り台で遊ぶことができたので
待ち時間も退屈しないで済みました。
しかし、今回は飛行機が完全に満席で、
次男をずっと膝の上に乗せていなければいけなかったのが辛かった。
2歳になっていなくても、体重は13〜14キロあったはずです。
長男は、一人でトイレに行くのが怖いと言うのですが、
こっちはこっちで金縛り状態なので
トイレのたびにスチュワーデスさんを呼んでつきそってもらいました。
子供が飲み物をこぼすのが何より怖かったので、
ジュース類をいちいち手持ちのふたつき容器に移し替えて飲ませたり、
わざわざペットボトルの水を持ち込んで飲ませたりしました。
成田ではトランクを宅配に頼んで、大荷物ながらちょっと身軽になって成田エクスプレスに乗りました。
今回は、お出迎えのじじばばに東京駅で待機してもらいました。
東京駅までは楽に行けることがわかったからです。
面白かったのは、帰りの便、フランクフルト空港にて。
成田便が到着してから、デュッセル行きの乗り継ぎにけっこう時間がありましたが
ルフトハンザのお子様連れ専用の待合室に案内してもらい、
そこでは、クッキーなどの軽食が食べ放題、
限りなく本物に近い飛行機の操縦席と本当の飛行機の客席で飛行機ごっこができるし、ぬりえやブロックでも遊べます。
隣はハンディキャップ専用待合室のようでした。

3回目。
これまでは、全日空かジャルか忘れましたが(をい)日系航空会社を利用したのですが
次男も2歳になって、ひとりで席に座るし、
アムス経由でKLMを利用することになりました。ファミリーサービスもなし。
まあ日本行きは3回目ですが、あいだに休暇旅行で何度も飛行機に乗っていて、
大人も子供もだんだん慣れてきますしねえ。
アムス乗り換えは、ターミナルが一応横につながっている建物なので、
遠くてもてくてく歩いていると成田行きのゲートに到着します。
飛行機に乗ったら、席がブロックの前から2番目だったので
前の席に座っている人に
「すみませんが、子供が小さくてご迷惑をかけると思いますので、
席を替わっていただきたいのですが」と言ってみました。
すると、海外生活が長そうな雰囲気を漂わせる、品の良い中年の女性が
「一番前の席は危険なので、小さい子どもさんは座ってはいけないんですよ。
気にされなくて結構です」とおっしゃって、
連れなのか、他人なのか、隣の外人男性と会話を楽しんでいらっしゃいました。
ところが。
いくら制しても、子供の、テーブルを出したりしまったりとか、前の席を蹴るのを
完全にやめさせることができません。
最初は無反応だったくだんの女性も、飛行時間の後半では旅の疲れがたまってくるのか
だんだん後ろを振り返ってにらむ回数が増えてきます。
だから言ったのに〜〜〜〜〜〜
さらに恐ろしいことに、
約1ヵ月後の帰り便で、成田でまたもやこの女性と遭遇してしまいました!!!!
「この前はご迷惑をおかけして…」と一応あやまったのですが、
「あれから1ヶ月たったのですもの、お子さんも1か月分成長しているでしょうね」
と、思いっきり嫌味を言われてしまいました。トホホ。
アムス経由便は乗り継ぎ時間が短くて、忙しかったです。

機内でもいろいろ貰えますし、おもちゃやおやつやシール絵本を用意してみましたが、
子どもを連れての飛行機の旅で、子供をおとなしくさせる決定打は
残念ながらないような気がします。
やっぱり普段の躾なんでしょうか。
泣くだけならともかく、最悪の場合、飛行機の中で吐いちゃうこともありますしね。
回数を重ねるうちに、だんだん、どうとでもなれ〜という気分にもなりますし。
乗り継ぎで困るのが、
機内持込のつもりで搭乗ゲートまで持って行ったベビーカーが、
いつのまにかトランクと同じ貨物室に運ばれていて、
大盛り荷物にベビーカーなしで移動しなければいけないことがけっこう何度もあったことです。
子連れの旅には、やはり両手を開けるのが基本、ですかね。

(妻的愚痴)
書いてるだけで当時を思い出して疲れてきました…



ベビーシッター物語(13)

話は前後しますが、
一戸建ての住まいを主張する夫を押し切って、日本人が多いアパートを主張したのは、
(何かあった時、近所の人に子供を預かってもらえたら)という下心があったのは
もちろんというか、当然というか、…下心があったのです。
目論みはだいぶはずれました。何かあったら、というよりあり過ぎて。(笑
でも、ベビーシッターさんとお留守番している次男の待つ自宅に
長男を幼稚園から連れて帰っていただいたり、
年1回の暖房の点検の日など、幼稚園のお迎えの時間にかぶるんだけど、
時間がはっきり決まってないので
近くの別のアパートに住んでいる方に、降園後、ちょっと預かってもらったり、
ちょこちょこと、いろんな人にお世話になっていました。

さて、
フラウNのドイツ語レッスンは、
語学学校の契約が終了したあとも、
夏休み後、彼女の自宅で継続することにはなっていたのですが、
いつから授業を再開するのか、はっきり決めないまま夏休みに入り、
こちらから電話連絡することになっていました。が、
子供がまとわりつくうざったさに加え、
外国語で電話をかけるのは気が重く、
「電話しなきゃ」「電話しなきゃ」と思いながら何週間も過ぎていったのでした。

ある日。
電話を取ると、英語の電話。
フラウNが、慎重な、ゆっくりした口調で、
「今日、時間があれば、今からあなたの家に行ってレッスンをしてあげます。どうですか?
住所は教室の事務に聞いたからわかってます、大丈夫」
びっくりして、そのままYesの返事をして、「じゃあ10時半に」と言われて電話を切って…
うっひゃ〜〜〜〜〜
とりあえず、居間を片付けて…
次男!次男どうしよう!
そして私は、同じアパートにお住まいの、次男と同じ歳の子供がいるTさん宅に電話をしてしまいました。
「もしもし…すみません、1時間ほど子供を預かってほしいんですがっ!」
急なお願いに、ちょっと驚いた様子でしたが、預かっていただけるとの返事をいただいて
次男をTさん宅に連れて行き、
フラウNの押しかけ授業を受けて、次回の授業の予約を入れて、終了し
11時半にお迎えに行ったら、
子供たちは二人で仲良く”おかあさんといっしょ”を見ているところでした。

その後、Tさんに、これといって”お返し”としてお子さんを預かるとか、
お役に立つことはなかったのですが、
急に頼んでこころよく子供をあずかってもらえて
すごくすごくすごくすごく、嬉しく、ありがたかったです。

(妻的愚痴)
このフラウNの強襲、
ひょっとしたら、時間が経つうちに、
どこか別の語学教室に私が通い始めると危惧して
実力行使にでたんじゃないでしょうか…??
夏休みには、一応、奥様会のドタバタは終わっていたので、
こちらとしても、ちょっと気が抜けていたんですけどね。
でも、外国語で電話するのって、気合い要りますよね。
それでなくても、電話嫌いな私です。

ベビーシッター物語(12)

ボス交代のてんやわんやを乗り越えて、
アドヴェントを迎える頃には、いつもどおりの生活が戻ってきていました。
奥様会関係のお出かけには、託児所と幼稚園の延長保育を利用し、
夜のお出かけには、幼稚園の先生に自宅でのベビーシッターをお願いする。
幼稚園の先生がベビーシッターを引き受けてくれると、
まず、はずれなく、日本人のベビーシッターが確保できているということなので
とても心強いものでした。
そのかわり、朝からバタバタ大掃除。
先生と子供の夕食用に、日本食料品店T屋さんのほか弁を注文して引き取りに行き、
(手料理を先生に食べていただく自信がなかった)
帰ってきたら、夫に頼んで
ご自宅まで車で送ってもらう。
風邪はひき始めに薬で押さえ込み、
真冬の寒い日は、駅直結のデパートの地下スーパーに買い物に行くなど
それなりに生活が軌道に乗ってきていました。

わずかな変化といえば、
以前は予約すればほぼ間違いなく預かってもらえた託児所が、
「その日は定員いっぱいで…」と断られることが少しずつ増え、
ドイツ語のレッスンの時には、毎週同じ時間で長いことお願いしているので
レッスンが終わったら即引き取りに行くということで無理に頼むようになってきました。
日本人の間で、託児所のことが広く知られてきたのです。
決定的だと思ったのは、春休みが近くなり、
帰国する方を囲んで子供抜きのお食事会をする奥様たちが増えたと見えて、
歩けない年頃の赤ちゃんがベビーベッドに鈴なりになって泣いているのを見たり、
小学校低学年くらいの子供を含む兄弟が託児に出されているのを見て、
なにしろベビーシッターさんはお一人のところですから
(ああ、この託児所を使ってレッスンに通うのはもう無理かもしれない)
と、思い始め、普通の託児付き語学学校を探し始めました。

この頃になるとフラウNのところにも、
私以外の生徒が出入りするのを見かけるようになっていました。
フラウNのレッスンを完全にやめる代わりに、
「デュッセルに住んでるとドイツ語を使わないからどんどん下手になる〜」と
嘆いていた夫に、ブラッシュアップのためのレッスンとして通ってもらうことにしました。
最初は「先生のレベルがわからん、信用できん」とぶつくさ言っていた夫も
なんだかんだで約1年、帰国の直前までレッスンに通ってくれました。

(妻的愚痴)
ごく、たまぁに、1年に1度くらい、オペラを見に行っていました。
「せっかくのヨーロッパ駐在なんだから、オペラくらい見たい」という夫の主張。
しかし、彼はオペラは全く知りません。
どのくらい知らないかというと……
職場の関係で、デュッセルドルフのオペラハウスに客演で招かれた指揮者から
招待券をもらえることになりました。
夫が言うには、「《イル・トロヴァトーレ》というのを演るそうだ。
君、あらすじと有名な歌を調べて俺に教えなさい」ときたもんだ。
日本からオペラに関する本を持って来てはいましたが、自分で読む気はないらしい。
仕方がないので街まで出て、Karlstadtという大きなデパートのオーディオコーナーが
充実しているらしいので
(これは地元情報誌Du"sseldorf kauft ein!というショッピング情報増刊号を参考にしました)
適当にオペラCDを見繕って買ってきて事前にレクチャーしました。
しかしっ!!
「《イル・トロヴァトーレ》って君知ってるか?有名なオペラなのか?
その指揮者と電話した時、聞き取りにくかったんで「綴りを言ってくれ」って頼んだら、
一瞬絶句されたような気がしたんだよな」
…そりゃ、絶句するでしょう。
オペラのタイトルとか、内容は知らなくても
歴史にも登場する中世の宮廷歌人のことなんですから、
その指揮者は、なんて無教養な男がオペラハウスに来るのだろうと
思ったに違いありません。ううう。

ベビーシッター物語(11)

Kinderfreundlich:キンダーフロインドリッヒ。お子様OK。
比較的お子様に寛容であることをこのように称します。

ドイツは子どもの躾が厳しいので、
騒いだり落ち着きのない子供を連れてレストランに行くことは避けましょう、と言われます。
しかし、毎日3食365日自宅で賄いをすると疲れてしまいます。
マクドナルドの他に、子どもを連れて行った外食店は…

シュラスコというチェーン店のステーキハウスでは、
子供にはミニ色鉛筆セットとメニュー兼ぬりえが支給され、
お絵かきをしたり、飽きたらランチョンマットで折り紙を始めたりしているうちに
料理が運ばれてきます。
ただし、ここはステーキ中心で、日本で食べなれたハンバーグがないのが難点。
洋食=ハンバーグと信じていたので、
デュッセルドルフのレストランではハンバーグがないことに
少なからずショックを受けました。
ピザハットも、メニュー兼ぬりえ兼ランチョンマットとミニ色鉛筆が支給。
サイドメニューのチキングリルがピザより早く出てくるので、
うちのような食欲旺盛な家庭向きではありました。

この、ぬりえ付メニューと色鉛筆セットは、チェーン店ならずとも、
観光地のカフェレストランなどでよくお目にかかっていました。
ぬりえは支給だが、色鉛筆は貸与というところも多かったです。
トイレに行くと子どもの作品が壁に並べて貼ってある、という
愛敬のあるレストランもありました。

あるいは、子どもが大好きなピザ専門店(ピッツェリア)で
突き出しの、ピザ生地を小さく焼いたパンに、ハーブバターを塗りながらつまみ、
速攻で焼いてもらったピッツァ・マルゲリータを速攻で食べて、
デザートは街角のアイスクリーム、というパターンなど。
待ち時間が少なくて破綻しないのです。

あるいは、夏のテラス席。にぎやかで、多少のお散歩も可能。
夏でも寒い日は利用できないのが難点といえば難点か。

在独1年目のアドヴェント期間中、
近くのホテルの、お子様OKのバイキング・ランチの広告を新聞で見て
予約していそいそと出かけました。
一応クリスマス・ディナーということで、ドイツ人の子供たちはけっこうオシャレしてまして
(お誕生会に呼ばれた時の服装)
レストランの奥まったところに、子供が遊べるテーブルがあって
ホテルのスタッフが一人つきそって、
ぬりえやパズルやゲームをして遊べるようになっていました。
たいていの子供はおとなしかったのですが、
ひとり、やんちゃぼーずが東洋人を珍しがってやたらとまとわりついてきてました。
たびたび、名前を呼ばれては家族の所に戻っていましたが
しばらくするとまたこっちにやって来る。
ま、東洋人の家族に興味を持つのはやんちゃぼーずの類くらいですね。
(味については《大味》とだけ言っておきます)

デュッセルドルフならば、中心部のケーニクス・アレーにある
ケー・ギャラリー地下のマルシェというセルフサービスのレストランですと
トイレに近い一区画に、お子様用プレイルーム付の小部屋があったのですが
日本人で利用している人はあまり見かけませんでした。
なんだかんだで支払いが高くなる割に味がいまいちだったからでしょうか。(笑)

旅行先でレストランに入る時には、
一応、子供連れで食べられるかどうかお店に聞きます。
快くOKしてくれて、
子供が食べられそうなものを見繕ってくれる上に
まわりに迷惑をかけにくい席を用意してくれるという幸運に恵まれることもある一方、
一応OKはもらったものの、予想以上にお子様が落ち着きなく、
「...××...Temparament...」お元気なお坊ちゃまですわね、と言われてしまうこともあったのでした。
最低だったのが、旅行帰りの人でごったがえすアウトバーンのカフェテリア、
席が確保できなくて皆相席。
用心して、子供たちを親がはさむような配置で座ったのですが、
それでも隣の隣のお婆様から「Sitzen!座りなさい!」とお叱りを受けました。
親は恐縮しますが、子供はドイツ語がわからないので平気。(泣)
ハイ、他の店で「騒ぐなら外へ行きなさい」と直接店員に言われたこともございます。

(妻的愚痴)
日本食のお店と、アウトバーンのカフェテリアははしょってあります。
そういえば、ミュンスターの方の普通のガストハウスで
お子様定食を頼んだら
「日曜日はお子様定食は1マルク!」という不思議なことがありました。何だったんでしょう。
ところで「お元気なお坊ちゃま」のところでTemparamentの前に
何かschlechtのような形容詞がつくと思うのですが、
どなたかご存知でしたら教えてください。(ペコリ)


ベビーシッター物語(10)

新しいボス夫人をお迎えして、
奥様会のメンバーも、順ぐりに入れ替わっていきましたが、
なぜか、私以降の新メンバーに、小さいお子さんをお連れの人が多かったのでした。

私がドイツに来るまでは、
新メンバーとボス夫人と幹事役の初顔合わせは、
ホテルのラウンジを利用していたそうです。
私がボス夫人+お世話係さん(インマーマンを案内してもらった。でも正直必要なかったと思ったよ)
と初顔合わせした時には、
「お昼をご一緒しましょう」と言われて、日本食レストランに連れて行かれて、
みんなで麺類を食べました。
赤んぼと3歳児を連れてそばうどん。これは、苦しいです。
子供連れだからとの配慮で、個室にしていただいたし、
折り紙やお絵かきセットを持ってきた人が、子供の機嫌を取ろうと努力して下さいましたが、
とてもそんなものでは間に合いません。
小さい子どものいる生活って、のど元過ぎると本当にポカーンと忘れてしまうんですね。
麺類はやめて、せめてお寿司なら(爆)…
(ああ、「このへんのお店のご案内をしましょう」と言われた時も、
3歳児が歩きたがらなくて大変だった)
ともかく、あまり居心地のいい体験ではなかったのでした。

だから、
お子さんがいらっしゃる新メンバーとの顔合わせには
もうご一緒に自宅に来ていただくようにしました。
嫌いな掃除も、子供を預ける手間に比べればなんのその。
「ドイツでは、お客様を招待したら、必ずお手製のケーキを出さなければいけませんか。
私、ケーキを焼いたことがないんです」
と、言うかたが多いので、(私だって日本でお手製ケーキを人様に食べさせたことなんかないわ)
あえてパン屋さんでケーキを買って、
スプレー式の生クリーム(ザーネ)を出して(初めて見る人には必ず受ける)を出して、
エレガントではないけれど、アットホームな雰囲気を心がけたつもり。
初めからこういうペースで奥様会のお仕事ができればよかったのになあと思ったのでした。

(妻的愚痴)
日本人の間では、口コミ情報のやりとりがとても盛んでした。

さて、私のためにお世話係になった人から、
電気の湯沸かしポットを貸していただきました。
「ずっと使っててもいいですよ」ということで。
住み始めた当初台所がなかった我が家としては、
これは本当に役に立って、感謝していたのですが、
使っているうちにだんだん白っぽい粒が浮かんでくるようになってきたので、
貸して下さった人に、お手入れ方法を尋ねました。
そしたら、
「あらあ、それ、うちでは使ったことないんですよ。
前任からの引継ぎ荷物で、うちは薬缶でお湯を沸かしてるんです」
というのが答えでした。
しょうがないので、ドラッグストアからコーヒーメーカー用のカルキ落としの薬を買ってきて
適当に使って掃除しました。
今でもこのやり方でよかったのかどうか疑問。
そしてそれ以来、
長く住んでいる人が、何でも知ってるわけじゃないんだわ、と思い、
「聞こえてくる」ことを参考にすることはあっても、
私は口コミ情報を集めるのをすっぱりやめてしまいました。(偏屈…)


ベビーシッター物語(9)

お子様連続水疱瘡を乗り越え、
夜9時(約、です)ホテルにこちゃん到着のJ★Lバスでやって来る新ボスご一家のお出迎えは
同じアパートに住んでいる日本人の奥様に留守番をお願いしてしのぎ、
旧ボスご一家のお見送りは午後3時(約、です)ホテルにこちゃん発J★Lバスなので
問題なくクリアし、
新ボス夫人豪華歓迎会はデュッセル市内のホテルを利用したのでとどこおりなく済み、
その他雑事もろもろを不完全ながらもこなして
夏休みが来ようとしていた頃。

いつものように、ドイツ語のレッスンに出かけ、授業の終わり際に
フラウNが、ちょっと声をひそめて、言いました。
「あなたの申し込んだ授業は、もうすぐ終わりになります。
でも、ここの語学学校の個人レッスンの授業料は、とても高いですね。
実は、私のアパートが、ここの近くにあるのです。
あなたが、私の家で授業を受ければ、もっと安くて、同じ内容の勉強ができますよ。…」

おっとお、引き抜きですか。

考えてみました。
私がこの語学学校を利用しているのは、
託児ができること、Uバーンの駅から近いこと
(雨の中子どもを連れて歩くのがしんどい)が大きな理由でした。
2歳未満の子供を預かるには、ベビーシッターに何やら資格が要るらしいので、
2歳以上の子供しか託児できない、という語学学校もあるのです。
同じ理由で、長男の通っている日系幼稚園でも、
保育時間以降は2歳以上の園児きょうだいなら、2時間ほど預かってもらえました。
そして、行きつけの託児所は、この語学学校から歩いて10分(たっぷり10分)。
できないことは、ないかも…

フラウNの自宅の電話番号を受け取って、
夏休み中はレッスンをお休み、2学期から再開という事で商談成立。
語学学校の校長には、「継続しません」とご挨拶し、
また、少し生活が変化しました。

語学学校の託児を利用している限りは、
レッスンが終わったら、即子供を引き取らなければなりませんが、
外部の託児所なら、自分の都合に合わせて預かってもらえるので、
ドイツ語のレッスンは1時間に短縮し、(通常グループレッスンは1回1時間半が週2〜3回)
個人レッスン後、一人で買い物をしてから次男を引き取るようになりました。
奥様会の山場を越えたこともあって、
この、週に1回1時間ほどの自由時間がとても嬉しく感じられました。
そうは言っても、お買い物のためだけに託児を利用するというのは、
いまひとつ億劫で、しませんでした。
「ついで」の自由時間が嬉しかったのです。

(妻的愚痴)
ま、《新ボス夫人歓迎会》というのも、ある意味山場ではありましたな。
というのは、奥様会の幹事は2人一組で準備するのですが、
今回のパートナーは「私全然ドイツ語できません」と公言してはばからない人でした。
何しろ、路上でドイツ人に突然話し掛けられた時の用心に
「かいんどいちゅ」くらいの返事は用意するじゃありませんか。
彼女は、「そんなの無駄よ。首をすくめればいいのよ」とのたまう人でした。
それでいて、ドイツ語ができないことが生活のストレスになっていた様子で、
「ドイツ語の勉強は帰国後役に立たないからお金と時間の無駄」という気持ちと
「ドイツ語ができないとやっぱり不安だし不便」という気持ちの間で
揺れていたように見えました。
デュッセルドルフ市内の大きなホテルには、たいてい日本人の営業がいるので
いざとなったら、奥様会の最中ずっと同席してもらうようお願いすることもできますが、
そこは、私にも見栄と意地があったりしますので(最初に変換したら「三重」と「維持」だった)
営業さんを頼むことはしなかったのでした。

しかし、「奥様会には毎回違う服を着てこなければいけない」という内規があったなんて
この時まで知りませんでした。(爆)
すでに5,6回は奥様会したぞ。
もっとも、旧ボスの送別会の時は、夏なのに妙に寒い日で、
新ボスの歓迎会の時はなんとか夏らしい陽気だったので、
気温に合わせて必然的に違う服を着て行ったのでした。



ベビーシッター物語(8)

時間が経てば、水疱瘡というものは治るもんです。
さて、続行中のフラウNのドイツ語レッスンですが、
時間べったり教科書を読んでるわけではなく、
近況など話すこともあります。

…子供が水疱瘡になったのに、外出しなくちゃいけなくて、
ベビーシッター派遣会社からベビーシッターに来てもらったんですけど、
1時間15マルク(これだけなら相場どおり)の他に、付加価値税がついて、
交通費も実費で払ったので、けっこう高くついちゃって…

フラウNは、目を丸く見開いて、
「それは高い!
私の知り合いでベビーシッターをやってる人がいます。
彼女は1時間12マルクでベビーシッターをします。
次の会食はいつなんですか?
私が彼女に、その日ベビーシッターに行けるかどうか聞いてあげます!」

思わぬところから、ベビーシッターがころがり出てきました。
その時は、ボス夫人の送別大お食事会の本番を控えていて、
しかも会場はデュッセルドルフ市内ではなく、市外の郊外のレストラン、
ミニバンのタクシーを予約して会場へ出向くという予定でした。
なにしろ遠くて、何時に帰ってこれるのか予想もつかないので
ありがたくフラウNの好意に甘えることになりました。
託児所を利用すると、お食事会→託児所で次男ピックアップ→幼稚園で長男ピックアップ
となるため、
4時半までということになっている預かり保育のピックアップに
間に合わないかもしれませんでした。
(子供を置いて先生が帰っちゃうほど薄情だとは思いませんが)
自宅で次男を見てもらえれば、その分早く幼稚園に寄って帰ることができます。
しかも、ベビーシッターの女性は、手持ちの定期で来たからと言って、
交通費は要求しませんでした。

(妻的愚痴)
この、ボス夫人送別大お食事会は、特に誰かの意見というわけではなくて、
前例に従って同じ規模、同じ会場でやったものです。
確か前任者に奥様会の仕事について説明していただいた時、この送別会の準備が
「とても大変でした」と言っていたような気がしましたが、
どうして今回大変じゃないように改善できなかったんでしょうね。
いろんな人の意見を入れていくと、結局従来どおりという線で落ち着いてしまいます。
不思議です。

それから、ベビーシッター会社への支払いは、
現金以外に、銀行振込でもOKでした。(その場で現金で払っちゃいましたが)


ベビーシッター物語(7)

そもそも、自宅でベビーシッターを頼むのが困難だから
託児に切り替えたわけですから、
水疱瘡のために託児が不可能になったというのは
大ピーンチ!なのです。

が。

少し前、あまりにも外出が頻繁で忙しいので、
奥様会メンバーの人たちに、
「皆さん、子供のお留守番はどうしてますか〜」と
聞くともなしに聞いてみたことがありました。
私のように、幼稚園児と未就園児のダブルという人はいないので、
あまり参考になる意見はないと思っていたのですが、
「もう帰国した○○さんは、ドイツ語ができたから
電話帳でベビーシッターを探して、赤ちゃん預けたことがあるって聞きましたよ〜」
と、教えて貰ったことを、ふっと、思い出しました。
これだ、これしかない!ドイツ人のベビーシッター!

とにかく本と本屋が大好きな私です。
たとえドイツ語がろくに読めなくても、
ドイツに到着して3日目に古本屋でカレンダーとドイツ語の旅行ガイドを買い込み、
家も決まらないのに中央駅の本屋でレストランガイドを買い込み、
(U"berbrickというタウン誌の別冊Du"sseldorf geht aus!という本で、
フレンチ、イタリアン、喫茶店、日本食…とジャンル別にランキングで評価し、
お店の雰囲気や価格帯、おすすめメニューをけっこう詳しく紹介した本で、
毎年発行。
子供もOKなレストランはマークがついていて
なかなか便利な本でした。)

暇があるとドイツ書店で時間をつぶしていた私は
Kind in Du"sseldorfという、ペーパーバック仕様のシティ・ガイドを購入していました。
これは、デュッセルドルフに転入してきた子供のいる家族のための 生活ガイドブックで、
公園、美術館、博物館、ベビー用品店など、さまざまな情報が網羅されています。
この本のページを繰って、…ありました、
ベビーシッター派遣会社。(Babysitterと書いてあるのですぐわかった)
この時にはさすがに夫に電話してもらって、(電話はお手上げ)
子供が水疱瘡にかかっていることを告げて、ベビーシッターを派遣してもらうことにしました。

当日、どうやってドイツ人のベビーシッターが日本人の子供を世話したのでしょう?
栗色のアフロヘアの大柄な女性がやって来ました。
日本式に靴を脱いで上がってもらい、
おむつのありかと帰宅時間と連絡先を教えて、とにもかくにも外出して、
帰ってきてみると、
ベビーシッターさんは、のんびりと自分の持ってきた本を読んでいるところでした。
長男は、勝手に一人で遊んでいたそうです。
次男は、泣いて泣いて泣いて、泣きつかれてソファで寝てしまっていました。
「私は何もすることがなかった」と、
ベビーシッターさんは笑って言いました。はぁ〜…

(妻的回想)
なんかこの頃は生活がデタラメでしたねえ……
日本だったら、兄弟が水疱瘡になったら母親は一ヶ月家に軟禁状態というところですが、
「子供が病気だからこそ、ベビーシッターを頼んで、用足しをしなければならない」
という理屈に納得していました。自分。
それに、普通の風邪なら、母親が面倒見ないとひどくなりますが、
水疱瘡は時間が経てば治るしねえ…
ベビーシッターさんも、
「水疱瘡で熱が出るのはいいことだ、この後治る」って言って
笑って送り出してくれましたし。あはは。



ベビーシッター物語(6) ここからは駐在2年目

ドイツの幼稚園に子どもを通わせて
バイリンガルにするという夢も、一応なかったわけではありませんが、
アパートから一番近い教会付属の幼稚園では
「ドイツ語のわからない子どもはいっぱいいる。
トルコ人もイタリア人もロシア人もいる。
これ以上ドイツ語のわからない子どもは受け入れられない!」と断られ、
次に近かったのが、日系の幼稚園なのでした。
ここは経営者の本業が不動産業で、園庭がないので多少格が下がるのですが
(そう、デュッセルドルフでは幼稚園も選べるのです)
まあ多少ラクするのもいいわいな、と
長男は年少年中年長、次男はひよこ組(未就園児クラス)と
フルにお世話になりました。
先生がたは、日本で2年契約で幼稚園教諭経験者を募集するので、
皆独身妙齢体力自慢容姿端麗の粒ぞろい、(全員カワイイとは夫の言)
降園後も有料ですが夕方まで預かり保育をしてもらえるし、
さらに別料金で先生に夜自宅でベビーシッターもお願いできました。
で、次男は託児所へ連れて行き、
長男は預かり保育で幼稚園に置いておくことで
頻繁なふたり分の託児代こそ、えーらい金額になりますが
奥様会関係の外出を次々にこなすことができたのです。

ところが。
ある祝日の木曜日、ライン川下流のクサンテンへドライブに出かけると
長男が「お腹がかゆい」と訴えます。
いた場所がちょうど草むらだったので、
虫にでもさされたのか、と気にしないでいたところ、
翌金曜日、幼稚園の担任の先生が
「どうも、水疱瘡にかかっているようなので、病院で見てもらって下さい…」
と言うではありませんか!
果たして水疱瘡ドンピシャで、
幼稚園はお休み、弟に感染するのは必定。もう託児に出せません。
どうする、これからボス交替の大詰めだっていうのに!!!

(妻的愚痴)
長男が水疱瘡になったらしい、と夫に言ったところ、
そうかそれなら街中の日本人の医者のところに車で送ってやろうと言いました。
親子4人で開業医のところへ行きました。
待つわ待つわ待つわ待つわ、2時間も待ったところで
「今日、囲碁クラブの人の送別会があるんだ、オレちょっとそっち行くワ」
と、診察も済んでないのに夫は去りました。
それからさらに待って診察、
水疱瘡の薬の処方箋をもらって閉店間際の薬局へ飛び込み
「今この薬は大ビンしかないよ」「それ下さい!」と外用薬を買って
少々熱の出始めた長男と2歳直前の次男を連れて
Uバーンで帰りました、ええ帰りましたとも。
家で、なんて冷たい父親だ、子供がかわいくないのかッ!と私が怒りまくったのは
想像に難くないでしょう。
もう面倒なので次男に水疱瘡の症状が出た時には
病院に行かずに長男のために買った薬の残りを塗りつけて終わりにしました。
幼稚園に通っていない次男は診断書をもらう必要がないのですから。



ベビーシッター物語(5)

自宅以外でも託児しました。

最初の夏休みは、(いや次もその次も)夫の独断でクラブメッド。
3才以下の、まだほよ〜んと遊んでいればいい時期は
おもちゃに騙されて遊んでくれますが、
年齢が上がってグループ遊びをするようになると
言葉の壁で(現地語かフランス語ができないとクラブメッドは楽しめない)
非常に居心地が悪いようでした。
さらには託児時間に間に合うように支度するのがけっこう大変で、
あまり「のんびり休暇」という感じではなかったですね。
赤さまはどうかというと、
こちらは1歳1ヶ月、ようやく歩き始めた頃に初めて連れて行ったことになるのですが、
「歩ける子」「歩けない子」「寝たきり」でグループ分けして世話をしていたようで、
「歩ける子」として申告して預けたのですが
どうもヘソを曲げて歩かなかったらしい。
「本当にこの子は歩けるのか?」とシッターの女性に聞かれてしまいました。
赤んぼは赤んぼなりにストレスがあったらしいのでした。

「夏休みの旅行が一回きりではつまらん」と夫が主張し
バーデンバーデンへ週末旅行もしました。
宿泊したホテルで夫がさっさとベビーシッターを頼み、
それでは、と早い時間に子供にハンバーガーをつっこんで、
おやつに食べ残しのポテトと飲み物をつけて
ベビーシッターのおばちゃんに預けてしまいました。
言葉も通じない子をホテルでどうやって面倒見るのかと思いましたが
夏の夕暮れをベビーカーを押しながらてくてく散歩して
ほどほどでホテルに戻ってきたようでした。
(ベビーシッターが子供を散歩させているのはよく見る光景です)
その間、親ふたりはホテルのレストランでお食事なぞしていたのですが、
何しろホテルでベビーシッターを雇うとは私は思いもよらなかったので
おまけにホテルのレストランにいるのは老人ばかり、
いまひとつ落ち着かなくて、自由時間を楽しめなかったような気がしました。

(妻的愚痴)
日本にいる間、夫は
「東京の仕事は忙しいからあまり子供を構ってあげられないが
海外赴任になれば、通勤も近くなるし、
余暇が増えて子供と遊んであげられる」と申しておりました。
うかつにもこの言葉を信じた私が馬鹿だった。
外国に来たくらいで、育児若葉マーク男が
熟練した子煩悩な父親に変身するはずがなかったことに気がつきませんでした。
デュッセルドルフでの夫の行動は
「子供の面倒なんてまっぴらごめん」と主張しているようにしか
妻の目には映りませんでした。
良くて、長男の手をひいてはるか先に行ってしまい、
赤んぼの次男とベビーカーと大荷物と私が取り残された状態。
夏が暑くなくて(汗)子供二人が一度に風邪をひき、
「どっちか一人に薬くらい飲ませてあげてよ」と言ったら
「そんなのは母親の仕事だ」と言い捨てたアナタ、
このことは墓場に行くまで忘れないからね〜〜〜〜〜!



ベビーシッター物語(4)

Sさんがベビーシッターを辞めた頃、
私のドイツ語学習環境にも若干の変化がありました。
私のクラスの生徒の一人が、3月で急遽帰国することになり
他の一人は、会社からの奥様語学研修補助金が1年で打ち切られるので
ドイツ語教室をやめると宣言し、
クラスの生徒が3人以下になると、プライベート授業ということで
授業料が値上げ(こうして教室の利益と講師への授業料を確保する)になるため
みーんな「やめます」ということで、
私は他のクラスを探さなければならなくなりました。
何しろ、目前にボス夫人の送別会と歓迎会が迫っています。
会場はホテルのレストランの個室が慣例でした。
デュッセルドルフ市内のホテルは、たいてい日本人の営業がいますが
当日テーブルについてサービスをしてくれるのはドイツ語しかわからないウエイトレスです。
無理やりにでもドイツ語は続けなければなりませんでした。

私は、ドイツ語学校の校長に、
「週1回、一人でプレイベートレッスンを受けたい」と申し出ました。
とにかくレストランで必要な表現を早急に習いたかったし、
週2〜3回のクラスでのレッスンではあまり自分の都合は言えないし、
週1回のレッスンにすれば、体も楽になって時間ができる。
ドイツ語学校の託児ルームも引き続き利用できます。
そして、私の先生になったのがフラウN。
ミュンスター出身で、オーストラリアの大学で教えていて、ドイツに帰国したばかり。
英語は堪能ですが、日本と日本人については全く知らない人で、
私が日本人の生徒第1号だということでした。
日本人の間では、帰国後使う機会の少ないドイツ語を習うよりも
英語のブラッシュアップをしたいという需要も少なくないので
ひょっとしたら、英会話のレッスンために校長がフラウNを雇ったのかもしれません。
(たいてい、日本人相手の初級ドイツ語の講師は
日本語ができて日本に詳しい人が多いのです。)
フラウNに、かくかくしかじかでレストランでの注文に必要な表現をまず習いたい、
歓迎会が終わったら文法を習いたい、と伝え、
ドイツ語の学習は続行されました。

(妻的愚痴) 駐在員の奥様が全員語学堪能というわけではないので、
日本人向けドイツ語教室は複数あり、奥様たちで賑わっています。
厳しい教室もあり、習い事感覚の教室あり、ですが
クラスの定員割れでクラス崩壊というのがしょっちゅうです。落ち着きません。
そして授業料がバカ高い。
では、日本人向けでなく、一般的なドイツ語教室はどうかといいますと、
生徒の圧倒的多数はドイツに働きに来ている人なのだそうです。
言葉がわからないと仕事に支障があるため必死です。
つつましい生活をしていて、旅行は里帰り、という人が多いらしい。
とても「夏休みはギリシャ、冬休みはオーストリー」などと言い出せる雰囲気でなくて
日本人向けの教室に「転校」してきた奥様がいました。
その後は、レッスンの後のランチとおしゃべりで、
お友達にも恵まれ充実した日々を送ったそうです。

ドイツ語を習いはじめてまずメゲるのが、文法用語でしょう。
(これが「日本人向け教室」発生の要因ではないかと)
日本の英語の授業では、主語目的語という調子で、文法は日本語で習ってますから
突然アクザチーフ、ノミナチーフとやられたら泣きたくなります。
名詞の性も、
マスクリンフェミニン式で教えるところ、
-er,-e,-esと語尾で指示するところ、
der die dasと冠詞とコミで覚えさせようとするところ、いろいろありましたが
頭に納まりきらない点ではどれも大差ありません。



ベビーシッター物語(3)

ベビーシッター探しにとりかかったものの、この作業はあまり要領良く運びませんでした。
夫が「日本人の中学生や高校生を頼むといいらしいぞ」という話を聞き込んできたので、
あまり親しくもない、ドイツ語教室で一緒だった人に頼んで
高校生の女の子を一人紹介してもらったのですが、
これは不発でした。
夜、コンサートやオペラに行くために頼むのには適していたのかもしれませんが、
私が外出したい時間、午後1時〜5時は学生さんでは無理でした。
女の子のお母さまを通して話し合いをしていたのですが、
いまいち先方の態度が冷たいような気がしました。
ひょっとしたら、ショッピングや美容院に行くために、
子供の面倒を見てもらいたがってると思われて、
(わざわざ小さな子供を置いてまで外出しなくたって…)と思っていたかもしれません。
私が一人で外出したかったのは、奥様会の所用のためで、
当日レストランなどに出かける以外にも、
会場の下見をしたり、打ち合わせをしたり、
新しくデュッセルドルフに来たメンバーに面会したり、街を案内したりするのに、
どうしても子供は足手まといになるからだったんですけど。

長男は、日系の幼稚園に通っていましたが、
お友達の家で預かってもらう、というのもいまいちでした。
長男だけならともかく、1歳の次男もお願いしなければならないので、
幼稚園のお迎えに引っかかる時間にお願いするのは少々無理がありました。
それに、皆なんだかんだと習い事をしていて、けっこう忙しそうでしたし、
幼稚園児は学期中でも一時帰国で長期に留守になったり、
3歳児はすぐに熱を出したり、お腹を下したりするので、
近所に何人子供がいても、みーんな都合が悪いということも珍しくなかったのでした。

もう一度、日本クラブで分けてもらったベビーシッターリストを見直しました。
日本人のベビーシッターは、夜だけとか、週末だけとか、
条件に制約のある人が多かったのですが、
一件、「週日昼間、自宅で子供を預かります」という方がいました!
この方は、自宅での短時間の託児を仕事にしている、ベビーシッターの資格をもった日本人で、
(これがないと2才未満の子供を預かることが出来ない)
場所はドイツ語教室の近く、家から正味20分くらい、片道30分見込めば利用できます。
子供をよそへ預けるのならば、家の掃除もしなくていいし、
ベビーシッターを雇うより値段も安い。
私はこの託児所にとびついて、以後、
雨の日も風の日も氷点下の日もせっせと外出を続けたのでした。

(妻的感想)
データを取ったわけではないので、あくまで推測ですが:
97年頃のデュッセルドルフは、
駐在員の若返りと、帯同する子供の低年齢化が
激しく進行していた時ではなかったのかと思います。
バブル時代に増加した駐在員、
この巨大な消費者集団が便利に生活するために
何年かかけて各種サービスが充実したところでバブル崩壊、
各企業が人件費節約のために、欧州オフィスを統合し、駐在員の削減と若い世代への交替を進めて
私たちが渡航した頃には、幼稚園に入れなくて長く待機するようなことはなくなっていました。

しかし、奥様会は非営利組織ですので
システムの見直しが遅れていました。
「メンバーの子供たちはおおむね小学生、奥様は日中フリー」、という前提で
運営されていたように感じました。
当社の奥様会の管理は持ち回り制ではなく、 一部当番制であるものの、一人(私)がほぼ全てをまかなうことになっていました。
(これは夫の役職の関係上)
ここで私がネを上げて、「小さい子どもがいるのでこれ以上できましぇ〜ん」と言えば
多少状況は変わったのでしょうが、
馬鹿で限界を知らなかった私は
たまたま子供たちが持病もなく健康だったせいもあって
つい、がんばってしまったのです。

奥様会のメイン活動であるお食事会は、
妬みに満ちたうわさ話が飛び交うこともなく、
いつもなごやかでした。
歓送迎会という名目だったので、帰国の話題が多く、
自然に引越しの段取りを学ぶこともできましたし、
ボス夫人も明るく楽しい素敵な女性で
世話役を務めるのは、しんどいことはしんどいながら、
けしてイヤイヤやってたわけではありませんでしたが、
いざという時代行する人がいない組織というのはやはり問題ありですよね…




ベビーシッター物語(2)

不動産屋さんの予言どおり、
住まいに対する夫婦間の意見の対立が見られましたが、
一戸建てを主張する夫を妻が押し切る形で、
デュッセルドルフ市のはずれにあるアパートに入居することになりました。
Uバーン(地下鉄の地上部分)の停留所前という便利な立地ながら
4月下旬という、日本人向けの物件が見つけにくい時期になんとか空き物件があったのは、
この棟にエレベーターがなかったこと、
JSTV用のアンテナを取り付けるには方角が悪かったことの2点が理由だと思います。
(半年ほどして、アパートのケーブルテレビでJSTVが視聴できるようになったので
わが家も早速デコーダを購入しました。ラッキー!)

家具をすべて新しく買い揃えなければならず、
始めのうちは、いろいろな不便もありましたが、
右も左もわからないなりに
生活は次第に落ち着いていきました。
託児つき・日本人向けのドイツ語教室(←デュッセルドルフならでは)にも通い始め、
奥様会の時はSさんにベビーシッターをお願いして出かけたりして、
1年近くたったある日。
Sさんが、言いにくそうに切り出しました。
フルタイムのお仕事が見つかって、ベビーシッターができなくなりました、と告げたのです。
数ヵ月後には、夫の会社のボスの任期が終わって交替するはずで、
奥様会でもボス夫人の盛大なるお別れ会と新ボス夫人の盛大なる歓迎会で
私もものすごーく外出が多くなる予定でありました。
なんかもう、ピーンチ!な状況が忍び寄ってきたのです。

(妻的愚痴)
この頃一番困ったのは、通話料の振込みが遅れて、
ドイチェテレコムに電話を切られたことです。
悪いのは夫です。(断言)
メインバンクとして会社の近くの銀行に口座を開き、
電話料の自動引き落とし手続きをサボったのです。
口座だって、夫婦の共通名義にしなかったから、全部夫の仕事です。
「手続きが面倒だったから」と本人弁解しましたが、
毎月振り込むほうがよほど面倒だと思うんですけど、私。
夫の弁では、2,3日、振込みが遅れただけだと言いましたが、
罰として、
かかってきた電話は受けられるものの、
こちらから電話をかけられなくなったのです。
またそれを復旧させようとあわてて料金を振り込んでも、
予想されたというか、すぐ再開はしませんでした。
電話をかける時には、テレホンカードを握り締めて
外の公衆電話にいちいち行かなければいけない生活は、やっぱり不便なのでした。




 
ベビーシッター物語(1)

ドイツ駐在のため家族で成田を発ち、
フランクフルト空港からJALバスでDUS"Hotelにこちゃん"に到着した私たちを出迎えてくれたのは、
夫の前任者と同僚そして日系不動産屋の人でした。全員日本人です。
(出迎えが多かったのは、当座の住まいになるウイークリーマンションにエレベータがないので、
トランクを担ぐ人足が必要だったせいだと思われます。)
翌々日から、夫の仕事の引継ぎと平行して、家探しが始まりました。
不動産屋さんは、「家探しはご夫婦でやらないとダメなんですよ〜。ご主人だけで決めますと、後で絶対ケンカになりますから…」とおっしゃいました。
そうして、到着早々ベビーシッターの必要が生じました。
日本クラブには、ベビーシッターの名簿があるのですが、
夫が仕事場からリストの順に片端から電話して次々に断られ、
最後の最後にOKしてもらったのが、
デュッセルドルフ市外の衛星都市にドイツ人のご主人とお住まいの、Sさんでした。

Sさんは、地味で普通な印象の、小柄で物静かな女性でした。
家探しが1日で終わらなかったので、数回お願いしたのですが、
おもちゃもないウイークリーマンション
(と言っても、普通のアパートメントの一室を週契約で借りているので、
上下左右は自宅として住んでいる人ばかりでした)
で子供の世話をするのが不便なので、車で子供たちをご自宅まで連れて行ってくれたりしました。
当時3才の長男が悪さをすると、躊躇することなく、しかし柔かい表現で注意してくださいました。
Sさんの態度には、ベビーシッターという雇用関係よりむしろ、
外国へ来て不便な思いをしている私への、暖かく、かつ深い同情の念が感じられて、
この人と出会わなかったら自分はどうなっていたのだろうと思います。
海外駐在経験者とはいえ、新しい仕事に関心の大半を奪われている夫に代わって
生活する上でよくわからない細かいことを、
住み始めた当初からいろいろ教えていただくことができたのは
本当に幸運以外の何ものでもなかったと思うのです。

(妻的愚痴)
留学も含めたら海外3度目の夫を、頼りにしていたんですよ… 当初、ね。
それがどうも怪しい、と思ったのは、
雨の日曜日、行くところもなくて
電車で空港に遊びに行ってみよう(近いんです)と、中央駅の自動券売機の前に立った時でした。
じーっと表示を見つめたまま、動かないのですね。夫が。
あっちを見たり、こっちを見たりしながら
結局通りすがりのドイツ人に切符の買い方を教えてもらって、
「チューリヒの時は車通勤だったから、切符を買ったことがないんだよ」と
ぼそっと言い訳しました。
外国帰りだろうと何だろうと、知らないものは知らない。
この恐ろしい現実に、
「前途多難」という四文字熟語が脳裏に浮かんだのでした…