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Rheinの東インデックス



8月14日はデュッセルドルフにとって特別な日
1288年のこの日、ライン河畔の街デュッセルドルフはベルク伯アドルフ公から都市(Stadt)としての特許状を与えられました。都市デュッセルドルフの始まりの日です。
(この経緯についてはこちらを参照して下さい)
また、1848年のこの日は、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が現在でもデュッセルドルフの目抜き通りであるケーニヒス・アレー(当時はKastanienallee:栗通りと呼ばれた)で馬糞を投げつけられたという事件がありました。

1848年フランスで起こった2月革命(パリ市民の民衆が蜂起、第二共和制発足)のために、デュッセルドルフもまた緊張した状態にありました。
そのような折り、当時ニーダーライン地方を支配していたプロイセンの王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世がデュッセルドルフを訪れ、イエーガー城にいた従兄弟かつ義理の兄弟であるプリンツ・フリードリヒ=ホーエンツォルレンを訪問しようとしました。
民主主義運動が起こっているさなか、この王にどう対応するかで、市議会でも激しい討論がありました。

馬車に乗った王が行くのを見るために沿道に詰め掛けた群衆の中に、王に対して野次を飛ばす輩が混じっていて、
ついに、フェルディナント・フライリーグラートという作家が「野次ってばかりじゃしょうがない、馬糞を投げてやれ!」と叫びました。
王を警護するプロイセン兵は、これを個人による暴動と感じてデュッセルドルフ市民に向かって剣を抜き、市の警備隊の制止も空しく、騒動の結果、4人の死者と相当数の負傷者が出ました。

市議会は兵士の干渉を激しく非難し、騒動に対しては処罰を決定し、プロイセン王に対して謝罪しました。 そして、この事件の後、KastanienalleeはKönigsallee(王様通り)と呼ばれるようになったのです。